バイクの「Ninja」で知られるカワサキ。その正体は新幹線から艦艇、ロケットまで手がける総合重工業グループだ。 防衛費増額の追い風を受ける今、足元では品質不正という重い課題とも向き合っている。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約1.5倍
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事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
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投資家目線のポイント
防衛費増額は追い風ですが、国の予算配分という外部要因に業績が左右されやすい構造でもあります。防衛需要の谷が来たときにどうなるかも、あわせて見ておきたい視点です。
川崎重工業は近年、舶用エンジンや潜水艦エンジンで検査データの改ざんが相次いで発覚しました。品質・コンプライアンスに関するニュースは、業績以上に企業の信頼を左右する材料として読む視点が参考になりそうです。
「川崎築地造船所」——川崎正蔵、社会のために船をつくる
1878年、貿易商として活動していた川崎正蔵は、東京・築地に小さな造船所を開きました。「社会のために技術を役立てる」という考え方が、その根っこにあったと川崎重工業は説明しています。
築地の造船所はやがて手狭になり、海運の中心が神戸へ移るなかで、1881年に兵庫にも拠点を構えます。1886年には官営の兵庫造船所を借り受けて事業を移し、名前も「川崎造船所」に改めました。1896年、株式会社として法人化し、松方正義元首相の子・松方幸次郎が初代社長に就任しています。
昭和金融恐慌と経営破綻——倒産させずに再建する道
第一次世界大戦の船舶需要で好況を迎えた川崎造船所ですが、戦後の造船不況とワシントン海軍軍縮条約で受注は急減しました。追い打ちをかけたのが1927年の昭和金融恐慌です。半期利益が3,300万円の赤字に転落するなど、資金繰りは一気に悪化しました。
1931年、1万7,000名の従業員を抱えたまま和議を申請する経営破綻に至ります。政府は特別融資でこれを支援しました。倒産させず規模を縮小しながら再建する道を選んだ結果、川崎造船所はその後も事業を続けています。
「飛燕」を生んだ川崎航空機——戦争の時代の重工業
1937年、川崎造船所は航空機事業を分離し、川崎航空機工業を設立しました。1939年には社名を「川崎重工業」に改め、軍需生産の色合いを強めていきます。
川崎航空機は、太平洋戦争で戦闘機「飛燕」を開発・量産したメーカーとして知られています。祖業の造船から始まった川崎重工業の歴史には、航空機という新しい柱と、戦争という重い記憶の両方が刻まれています。
3社に分かれ、また一つに——1969年、川崎重工業の再統合
第二次世界大戦後、川崎重工業は企業分割の対象になりました。鉄道車両は川崎車輛、航空機は川崎航空機、海運は川崎汽船、製鉄は川崎製鉄(現JFEスチール)として、それぞれ独立会社に切り離されています。
高度経済成長期に入り、川崎重工業・川崎車輛・川崎航空機工業の再統合が進み、1969年に3社が合併しました。総合重工業メーカーとしての姿は、この統合によって形づくられています。汽車製造も合併し、鉄道車両事業の生産基盤をさらに強化しました(資料により1971年・1972年と表記が分かれます)。
メグロとの出会いから「Ninja」へ——二輪車事業の系譜
川崎重工業の二輪車事業は、1950年発売の「ジュニア」に始まります。1960年、大型モーターサイクルの老舗「メグロ」と業務提携し、1962年に「カワサキメグロ製作所」として改組、1964年に川崎航空機がこれを吸収しました。
1966年には米国法人を設立して北米市場に本格進出し、「Z」シリーズなどのヒット作で存在感を確立します。1984年発売の「GPz900R」が、いまも続く「Ninja」ブランドの起点になりました。老舗メーカーの技術を受け継ぎながら、世界的なオートバイブランドへと育っています。
日本初の産業用ロボット——ユニメーションとの提携から国産化へ
1968年、川崎重工業は米ユニメーション社と技術提携し、翌1969年、国産初の産業用ロボット「川崎ユニメート2000型」の商業生産を始めました。自動車工場向けの溶接ロボットなどから事業を広げ、1986年には提携を解消して独自ブランドでの開発体制に切り替えています。
その後も塗装・組立・搬送などに用途を広げ、日本第2位・世界第4位級の産業用ロボットメーカーに成長しました。祖業の造船とは縁遠く見えるロボット事業は、いまや川崎重工業の主要な柱の一つです。
社長解任と三井造船との統合破談
2013年、川崎重工業は三井造船との経営統合交渉を進めていました。ところが同年、臨時取締役会は長谷川聡社長ら3人の解任を決議し、交渉は白紙に戻ります。新社長に就いた村山滋は、「取締役会を軽視する行動」があったと説明しました。
祖業である造船の比率は既に小さくなっており、統合を退けた後の川崎重工業は、防衛・エネルギー・航空宇宙といった分野への集中を強め、その後の業績拡大につなげています。
世界初の液化水素運搬船「すいそふろんてぃあ」
2019年、川崎重工業はマイナス253度に冷やした液化水素を安全に長距離輸送できる、世界初の液化水素運搬船「すいそふろんてぃあ」を進水させました。全長116メートル、貨物槽の容積は約1,250立方メートルです。
2020年代に入り、日本とオーストラリアの間で液化水素の実証輸送に成功しました。祖業である造船の技術を土台に、水素という新しいエネルギーのサプライチェーンをつくる試みが進んでいます。
潜水艦エンジン検査不正——「組織的な検査不正」と、続く信頼回復の課題
2024年、川崎重工業は舶用エンジン674台のうち673台で、NOx排出データなどの検査データを改ざんしていたことを公表しました。同じ年には、神戸造船所の修繕部門が下請け企業との架空取引で裏金をつくり、海上自衛隊の潜水艦乗組員に飲食や物品を提供していたことも発覚しています。
2025年の暮れには、さらに潜水艦用ディーゼルエンジンでも長期にわたる検査不正が確認されました。防衛省はこれを「組織的な検査不正」と判断し、その後2026年にかけて約2.5か月間、川崎重工業を指名停止としました。潜水艦全体の安全性・性能には影響はないとされていますが、エンジン単体では燃料消費率など仕様書上の基準を満たしていなかったものが多い、と防衛省は説明しています。検査記録を書き換える行為が長年続いていたという事実は残り、防衛費増額で追い風を受ける今だからこそ、品質管理をどう立て直すかが問われています。
「膿を出し切る」——再発防止策と、水素で世界をリードする今
検査不正の発覚を受け、川崎重工業は社長を委員長とする「コンプライアンス特別推進委員会」を設け、不正ができない仕組みづくり・不正の早期発見・組織風土の改革を3本柱とする再発防止策に取り組んでいます。検査工程では手作業だったデータ確認を自動化するシステムの導入も進めています。
同じ時期、川崎重工業は祖業の造船技術を土台にした水素事業で存在感を高めています。2025年秋には液化水素サプライチェーン商用化実証の中核となる神戸の基地「川崎LH2ターミナル」が着工し、2026年の年明けには世界最大級となる4万立方メートル型の液化水素運搬船の建造契約も結びました。日豪間で液化水素を実際に運んだパイロット実証の実績を土台に、2030年代の商用化を目指しています。防衛需要の拡大と水素という新しいエネルギー事業、その両輪が、いまの川崎重工業を支えています。
