第一次世界大戦で体温計の輸入が途絶え、医師たちが国産の体温計をつくらせたのが始まりだ。使い回しの注射器をやめさせ、世界最細の注射針をつくり、心臓と血管の治療機器で世界と渡り合う会社になった。売上の8割は海外へ移った。
創業から現在へ — ストーリー
10年で、売上は約2.2倍
(手元に残った利益)
事業の構造 — 何で稼いでいるか
投資指標
取得中…
投資家目線のワンポイント
売上の6割は心臓血管事業に集中し、地域別では米州が4割近くを占めます。為替や現地の医療制度の変化が、業績を大きく動かす会社です。
町工場の体温計——北里柴三郎が動いた
第一次世界大戦でドイツ製の体温計が手に入らなくなり、日本の病院は体温計不足に陥りました。東京・墨田区の町工場で体温計をつくっていた技術者、竹内英二が開発した体温計を、北里柴三郎らが後押しし、医師の笹川三男三が設立の音頭を取ります。1921年、大日本医師会会長だった北里柴三郎が設立総会の議長を務めて『赤線検温器株式会社』が誕生しました。販売は森下仁丹が引き受け、公募で選ばれた名前は『仁丹の体温計』でした。
肝炎の恐れ——テルモが挑んだ使い切り注射器
当時の日本では、注射のたびに新しい注射器を使う発想がまだ乏しく、洗って何人にも使い回す病院があり、肝炎に感染する恐れが指摘されていました。まだ体温計の会社だった仁丹体温計株式会社(現テルモ)は、アメリカで開発が進んでいた使い切り注射器の情報を集めて製品化します。エチレンオキサイドガスで滅菌し、ガスが残らない包装まで独自に工夫しました。この製品は2019年、国立科学博物館の重要科学技術史資料『未来技術遺産』に登録されています。
6人の町工場——100社が断った注射針をつくった
2000年、テルモの技術者は小児科で、女の子がインスリン注射を受ける場面を目撃しました。『痛みの小さい注射針はできないだろうか』。メーカーや工場100社以上に相談しますが、ことごとく断られます。引き受けたのは、東京・墨田区にある従業員わずか6人の町工場、岡野工業でした。5年がかりの試作の末、世界最細0.2ミリの投薬用注射針『ナノパス』が誕生しました。
輸血の袋——世界一を買いに行った日
輸血を受けるとき、血液はまず専用の袋に集められます。この血液バッグを1969年に日本で初めて発売したのが、テルモでした。それから40年余りが過ぎた2011年、テルモは米カリディアンBCT社を買収すると発表します。記者会見で新宅祐太郎社長は『輸血関連事業のグローバルリーダーとなり、これをエンジンに新たな成長へ大きな一歩を踏み出したい』と語りました。買収額は約2,150億円、国内医療機器分野では過去最大級の買収です。輸血のための採血技術と顧客基盤を手に入れ、輸血関連事業の売上高で世界トップを目指しました。買収したカリディアンBCT社は、のちに『テルモBCT社』として血液・細胞テクノロジーカンパニーに再編されました。
やめる決断——欧州の工場を閉じた年
採算の合わない開発は、やめる。それがテルモの2025年3月期の決断でした。心臓血管事業のインターベンショナルシステムズで、米国と欧州の開発を中止し、欧州の工場も一部閉鎖しました。CFOの萩本仁氏は、この心臓血管事業の見直しを『収益性また他プロジェクトとのバランスも踏まえ戦略的に判断』したと説明しています。血液・細胞テクノロジー事業でも、受託製造の新規プロジェクトを取りやめました。一時費用は合計242億円。それでも売上収益は初めて1兆円を突破し、営業利益は過去最高を更新しました。翌2026年3月期には、売上高・営業利益ともさらに記録を塗り替えています。
